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諸々も言いたいこと
   
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煙草をなくし、安全に暮らせる社会を創ろう(表紙に戻る)  諸々の言いたいこと(目次)へ  

2010年3月31日
日本をどうする気なのか。「郵政改革(改悪)の行方」

 3月30日に郵便貯金や簡易保険の限度額引き上げが閣僚懇談会で決まったという報道がありました。その中で「弊害があれば、引き下げる。」ともあったのですが、こちらの方はメンバーの顔ぶれを見ている疑問ですね。何を持って弊害とするのかです。
 これは、官業拡大の象徴的な決定ではとも考えます。それと、選挙目当てのつもりなのですが、あの郵政選挙の時の状況と前回の選挙の時の状況では違いが大きいですね。どちらかというと自由民主党の方が民主党より国営側に触れていると感じた国民が多かったのでは。そして、国民新党の言いなりになるような政権を期待してたわけではないですね。
 JPの宅配事業は多額の赤字を出していますね。ヤマト運輸や佐川急便は全国配達をしていますし、ヤマト運輸は全国で集配かな。このような状況では、JPは一部を除いて宅配から撤退してもよいのではとも思いますが、「官業の意地」で存続のようですね。
 以前にも書きましたが、国営がのさばっている国は「経済が停滞」や「経済の後退」が頻発しています。今回の引き上げでもし、資金が郵便貯金に集中したとき、どうするのでしょうか。「融資のノウハウなし」ですから、一般の融資では新銀行東京の二の舞かな。すると、国債引き受けに走らせるつもりなら、日本は破綻しますよ。
 小泉政権の時での「規制緩和」の部分で???というのが多かったですね。官僚の抵抗かな。業界団体の抵抗かな。それで、反対の目立たないところで「規制緩和」がおこなわれたということが、日本人の体質と相まって「過剰進出」が起こってしまって失敗した感じですね。タクシーなどがそのよい例でしょうね。
 官の規制の厳しい分野での規制緩和や官業の縮小が必要な時期に「官業拡大」になる郵政関連の動向は時代に逆行というより、「日本沈没」の引き金になりかねないですね。

2010年3月29日
どちらも少数弱者に疎いのかな

 3月29日に朝日新聞のサイトで見つけた記事に「高校無償化は負担増 フリースクールや定時制の親ら訴え」というのがありました。
 『鳩山政権の目玉施策「高校無償化」は月内にも法案が成立する。』と、財源として扶養控除が縮小されることになています。その結果、負担増になる世帯が多数出るというのですが、まあ、全体から見れば、少数なので「切り捨て?」と感じがします。前政権でもよく似たことが見られましたね。「業者より」かな。賃貸住宅などの「追い出し屋」の件など、規制されるべきものが放置されているのとよく似てますね。
 不登校の生徒らが通うフリースクールは除外とか、定時制・通信制は元々授業料が安いので増税分の方が多くなってしまうとか。大体から、定時制・通信制やフリースクールの通う生徒とかはどちらというと「低所得層」が多いのでは。そして、経済的理由による「退学」も増えていますね。退学になれば、「授業料無償化」からは外れ、税負担だけが増えることに。この層も「低所得層」が多いですね。失業しやすいのも「低所得層」の方ですね。
 指摘されていても『川端達夫文科相はこれまでの国会審議の中で「負担増になる家庭には適切な対応を検討したい」としているものの、「どうするかはこれからの議論」と具体的なことには言及していない。』で動き出していない。税制は財源確保のため、すぐ変更するのに対策をこれから議論というのは「する気がない」とみてもよいのではないのでしょうか。
 フリースクールなどを含めるべきだし、日本で税金を納めている納税者およびその子すべて恩恵が行き渡るようにするように今からでも制度を拡充してほしいですね。

2010年3月27日
国立大を順位付け、何を基準に?

 3月25日に報道されたものに「国立大を順位付け、交付金配分に反映」というのがありました。これは,国立大学が法人化されたときに「法人化された国立大学の研究や教育などを6年間で評価して、各大学の10年度以降の予算に差をつける」というのです。
 一応基準は「(1)教育水準(2)研究水準(3)教育研究達成度(4)業務運営達成度の四つの評価結果」ということなのですが、ここで問題が。まず「(1)教育水準」、これは何をどう取るのか。単純に考えると入試難易度の高いところが有利ですね。どのように「伸ばしたか」ということを考慮の中でどれだけとったのかでしょうか。入学生にあった教育水準ではないのかも。入試難易度の低い大学が不利ですね。もともと、交付金も少ないのにです。
 「(2)研究水準」ですが、これは、明らかに有利不利が温存されたままの評価になったのではと考えます。すべての大学を旧帝国大学並の研究条件にして最低10年程度は様子を見る必要のある項目だと考えます。「資金を与えずに研究業績をだせ。」といっているようなものです。評価の低い大学が教員養成系や地方国立大学であることがこの状況を示していると考えられます。
 「(3)教育研究達成度」、「(4)業務運営達成度」も(2)とどうようなことが問題になりそうですね。
 理系有利?、大規模総合大学有利?になるようにして、弱小大学を切り捨てるつもりの評価結果みたいに感じたのは私だけでしょうか。

2010年3月25日
郵貯限度額見直し案どたばた

 3月25日に『「鳩山由紀夫首相は25日夕、亀井静香郵政・金融担当相が発表した郵便貯金の預入限度額引き上げを柱とする郵政事業見直し案について「了解ではない。これから閣議で調整されるべき事項だ。調整前の発表はまずかった」と述べた。』ということです。
 これは国営亡者の亀井氏が示した郵政見直し案について、鳩山由紀夫首相が不快感を示したということだそうです。
 この件に関連して、世界を見てみると「国営」がのさばっているところは経済が停滞していますね。中国は言論等の規制はしているが、経済的には「国営から民営」の方向に進んでいますね。そして、問題になっているのが「国営企業」の採算性を無視したような経営活動でしょう。多額の負債を抱え込んでしまったりしています。北朝鮮の経済停滞は「計画経済」ようは国営のみだからかな。これは、共産圏諸国に共通した問題だったですね。
 イギリスの復活は、「国営企業の民間への売却」でしょうね。ドイツの郵便は民営化で世界的物流会社になりましたね。政府の関与を減らすことで余計な財政支出も減らせ、民間の活力が高められるわけです。
 今回の案のように郵便貯金限度額を引き上げたとき、運用はどうするのでしょうか。現状では「国債引き受け」か「民間金融機関から融資されない企業への融資」とかですね。どちらも経済状況に変化があると、焦げ付きとか金利急上昇で国債の評価額低下で問題が起こりそうですね。公共事業を増やしたい思惑もあるようなのですが、これは経済の停滞を招きそうです。民間が活躍できるようにすることが、セイフティーネットの拡充に役にたつと考えますが、景気対策に税金がつぎ込まれても、今の日本では効果がほとんどないですね。そのあたり、亀井氏は考えているのでしょうか。郵政事業の強化だけしか考えていない印象を受けています。

2010年3月23日
無知による虐待の拡大

 3月21日にNHK教育のETVで再び、永山則夫について放送されていました。そこに見られるのは劣悪な環境で育つ子どもの問題ですね。親が意識的というと問題が含まれますが、虐待と認識している場合、あるいは躾と称しておこなわれる虐待などですね。ところが、永山則夫のことについて、ETVや虐待に関する本を読んでみると、母親の無知ということが虐待状態を拡大しているようにも感じ、当時の行政や常識が虐待状態を長期化させてしまっているところも感じられます。
 では、なにが無知状態を助長してるのでしょうか。一つが教育に係わる考え方かな。躾と虐待の違いはあるのか。あると思うのですが、多くの場合、混同されているのが実態でしょうね。そして、間違った考え方が今でも教育界にも温存されていることにも見られます。無知といえば、最近の過払い金返還訴訟で、依頼者の無知につけ込んだ事例がニュース等で放送されていました。これは、教育において「暗記」ばかりが重要視されてきた一例になると考えます。
 親が子どもに係わることの出来る時間が労働のために少なくなっていることも。これは、労働政策、産業政策の失敗とか、経営者の無知(女性の働きやすい企業の方が業績がよいことが非常に多いということですが。)とかで、子育てしやすい状況の方が経済によいというのにです。
 人間は、身近な経験をよりどころにしますね。これが、偏見を生む要因にあると考えられるのです。育児書を読んでも、適切に活用できないのですね。極端に走ってしまって、放任か過干渉などの虐待行為になってしまうということか。成績が悪いからという理由で普通の養育状態から逸脱するのも虐待にはいると考えられます。この「普通」ということばの持つ意味は「殴る、食事を与えない、無視する、などなどなど」とかのない状態ですよ。
 子どもの心理とは逆のイメージを勝手に抱いて躾をするというのも虐待にはいると考えられるのですが、無知によって、こどもの心理状態が読めないのですね。無知だから、子どもの知的状況が判らず、無理な躾による虐待も多発していますね。 

2010年3月21日
放棄農地の利用

 3月21日日本経済新聞一面に「ニッポンの農力 第5部 宝は眠っている 1」で農地利用の発想転換について実例を挙げながら書かれていました。詳しくは新聞で。
 で、日本の放棄農地の面積が38万ヘクタール(2005年)に上るというのです。これは、埼玉県の面積に匹敵するということです。ここまで、放棄地が拡大した理由はいろいろあろうかと思います。例えば、山間地で水田とかの一区画が小さすぎるためとか、点在しすぎているとか、などなど。
 問題は農耕の条件のよいところでも放棄農地が出てきているところかな。民主党に政権が移って、「農業者戸別所得補償制度」とかで今までなら農業を止めようかなという採算性の低いタイプの農家も持ちこたえられそうだというようです。
 日本農業の競争力をつけるためには、「発想転換」を必要としているのですが、生産性の低いままの温存では、国際競争力はさらに低下するでしょうね。
 日本の各地で、発想を変えることで生産性を上げたり、日本の農産物の品質の高さを使って世界市場に進出しようと農業団体や農家があるのですが、農地の拡大に支障を来すとしたのが「戸別所得補償制度」とか。これ、実際に耕作している農家対象だそうなので、農地を貸すと補償金が貰えないということかな。で、低生産性のまま、ほそぼそと耕作。この両極端を調整する仕組みを考えた形跡はないようなのです。
 税制や補償制度などなどで、不完全でも活力ある営農集団に農地が集約できる制度を作り出す必要があるでしょうね。所有権については、そのままで利用しやすい形態ですね。
 新聞にでていた放棄農地の利用例も「農業者戸別所得補償制度」によって、所有者が自身で耕作すると言い出したら、どうなるのでしょうか。「農業者戸別所得補償制度」類似の制度は欧米にもあるようですが、あちらは農地は日本みたいに細分化されていないですね。この違い、非常に大きいと考えます。

2010年3月19日
神奈川県が海水浴場禁煙実施へ

 3月17日のNHKニュースによりますと、神奈川県が他人のたばこの煙を吸い込む受動喫煙の被害を防ぐため、神奈川県は県内にあるすべての海水浴場を禁煙にする条例案を17日の委員会で可決したうえで、ことし夏の施行を目指すことになりました。」といことです。ただ、海水浴場の一部に喫煙所を設けるということですが、この喫煙所、どのようなタイプにするのでしょうか。気になります。夏場は太陽光が強く、気温も高いから閉鎖型ということはなさそうですね。でも、煙の流れには注意をはらって設置してほしいですね。海水浴場の中で「風下側」への設置ですね。「風上側」ですと、禁煙する意味がないとも考えられるからです。
 先に神奈川県が一定規模以上の飲食店などで、「禁煙」または「分煙」を義務づける条例を作り、この4月施行になりますが、「分煙」のところでは禁煙席を風上側につくるか、別室にするのかということまで踏み込んで指導するのでしょうか。自主性に任せると、風下側に禁煙席を設置する不届きな店が出てくる可能性が十分あります。これでは、条例の意味がなくなります。海水浴場でも同様です。空気の流れを考えてください。
 それと、飲食店等では、入り口に大きく、「禁煙」「分煙」「喫煙」の別が判る表示の義務づけですね。この表示の義務づけは是非規模に係わらず実施させるべきです。喫煙者がいるところで働く非喫煙者には危険手当を。

2010年3月17日
新薬開発に財政出動も

 3月13日土曜日午後100時からの「追跡!A to Z」では、「新薬が生まれない」ということで放送されていました。詳しくはNHKライブラリーでね。
 1980年代(もう少し以前からかな。)からの生命科学の進歩(科学技術全般の進展による。)で、経験的な新薬開発から科学的論拠による開発が加速され、1990年代に多くの画期的な新薬が開発されました。
 その後、生命科学は進歩して、いろいろな新しい知見は得られているのですが、新薬開発にすぐ役立つような知見が出にくくなったようなのですね。その結果、世界中の製薬会社が特許を持っている薬の特許が2010年から切れ始めるということなのです。そうすると、後発薬メーカーが安い薬の製造が始まるので、患者は以前より安価で薬を入手することが出来るようになるのですが、問題が出てくることになります。
 新薬開発は、日本では完全に製薬会社の負担のもとでおこなわれるという仕組みですね。そして、薬害大国日本の汚名返上の面もあって、認可基準が厳しくなってきているので、以前より開発には多額の費用がかかることになります。この開発費をどう工面するかという問題ですね。これが、出来なければ、後発薬メーカーと同じような薬しか造れなくなり、新規の開発が出来なくなるというものです。海外も似たり寄ったりのようです。
 海外より日本の条件が悪いのは、患者数の少ない(開発費用の回収が困難な)薬の開発も完全に製薬会社の負担のもとでおこなわれるということです。これが、海外では使われている難病などの薬が日本で使えない原因の一つです。もう一つは、このことに関連するのですが、認可の問題です。少数患者の難病とかの配慮が聞こえてこないのです。行政の硬直性かな。
 ということは、財政出動も考える必要があるということです。特に患者数の少ない難病などについては、全額公費で開発してもよいのではと考えます。このように、製薬会社の特許収入がなくなっていくような状況ではなおさらだと考えます。
 この新薬開発もスーパーコンピューターとかニュートリノとか高エネルギー研究とか製造技術とかいろいろな科学技術というか、人文科学・社会科学・自然科学なの科学技術全般でいえること、「継続することが力になる」ということです。
 世界で2位とかで妥協するようなことをすれば、科学技術立国が危うくなります。国を潰さないためにも基礎的な分野は特に重点的に研究費を配分する必要があります。新薬開発も基礎科学の部分の大きい分野だと考えます。

2010年3月15日
安直な方法、安売り

 2010.3.15日号の日経ビジネスは『「脱・デフレ列島」安売りを撃破せよ』というタイトルでした。安売りの消耗戦が起こっているからですね。詳しくは日経ビジネスで。
 例えば、ジーンズ。ユニクロが999円でしたか、売り出すとどっかのスーパーが800円台だったかな。そして、ドンキホーテだったかな、690円でしたか、発売しましたね。これ、海外生産、仕事が海外に流出したということかな。実際、どっかの店のジーンズをつくっていた岡山県の工場が閉鎖になって、海外に転出したとか。そこの従業員は当然、失業。安売り競争のカゲにはこのようなことが各地で起こっている可能性が。某たばこメーカーの子会社の餃子事件は中国製だったかな。国内でつくるより安いからです。
 このようなことが起こるのは、日本にまだまだ生産性の低い分野があるのと、少子化でしょうか。少子化と正社員などの減少で国内の購買力が減少していることもあるでしょうね。兎に角、売り上げを一時的に増やすには「値下げ」は有効ですね。ただ、他社が追従して「値下げ」競争になると、販売数量は増えずに価格低下だけ起こりますね。他社が真似できないことをしない限り、この悪循環が続くでしょうね。その上、行政が高コストときてはね。
 少なくとも人口が減少しないように子育てに出来る国をつくっておけば、こうはなっていなかったかも。輸出入が簡単になって、海外価格と国内価格との差をつけられなくなってきているのに、国内の生産性の低い部分を温存してきたツケもあるでしょうね。例えば、港湾、神戸港などは国内へのコンテナで殿様商売をしていたら、地震で閉鎖されている間に便利で低コストの釜山に逃げられたとか。ハブ空港の概念がなかったため、旅客の相当数が仁川に取られたとかで、国内での付加価値の創造に失敗して、国内での消費を減らしたとか。そのほかにも沢山ありますが、「井の中の蛙」体質が「安売り」競争を激化させているのでは。創造性のなさもね。
 国内での雇用の減少が続くようならば、当然消費が減少するでしょうから、「安売り」は続くでしょう。脱出するには「規制緩和」と「創意工夫」かな。最低賃金1000円実現できそうにないですね。というのは、即1000円にすると、工場の流出が起こるからでしょうね。派遣もかな。こっちはピンハネ率の制限で派遣労働者を守れる可能性がありますね。但し、ピンハネ率が高かったときと同様の金額を派遣先企業が払うということが前提ですけどね。

2010年3月13日
筋肉などを「霜降り」にしないように

 3月6日土曜日のNHK午後10時〜10時43分の番組「追跡!A to Z」で「肥満は悪くない?」というのが放送されていました。詳しくはNHKでね。
 そこで、出てきたのが「異所性脂肪」というものです。その時々に細胞で利用される脂質は当然、その細胞にあって当然なのですが、利用されない脂肪、貯蔵性脂肪は特定の場所にあれば害は目立たないということです。特に害がないというか、場合によっては利点もあるのが「皮下脂肪」というものです。こちらは以前から生活習慣病との関連は低く見られていました。で、実際、そうでしょうね。ただ、皮下脂肪も多くなりすぎると、腰とかに負担をかけることになり、腰痛などの原因になることがあります。ですから、程度の問題かな。
 次に貯蔵性脂肪は「内臓脂肪」に、これは皮下脂肪より生活習慣病との関連が強く示唆されています。
 摂取されたカロリーのオーバー分は、まず、皮下脂肪に、そこが貯蔵能力一杯になると、内臓脂肪に、内臓脂肪も貯蔵能力一杯を越えると、行き場のなくなった脂肪が筋肉、肝臓、膵臓、腎臓などに溜まり出すというのです。それが、よくいわれる「脂肪肝」などです。脂肪肝になると肝臓は脂肪の処理に追われて草臥れ、肝細胞が次々に壊れることになります。その後には、肝細胞は新生されずに、繊維質ができるとか。そして、生きている肝細胞を締め上げるような感じで肝硬変になったり、肝臓癌になったリスというのです。これと、同じような病変が各臓器で起こることになります。膵臓でインスリン分泌細胞で同様なことが起これば、インスリンの分泌が出来なくなり、糖尿病に、心筋ですと心筋梗塞、腎臓では腎不全かな。
 ヨーロッパなどに比べて、比較的温暖であった日本などでは皮下脂肪をそれほど蓄える必要がなかったのか、貯蔵能力が低いと考えられるということです。
 結局は、適度の運動とカロリーの量も含めたバランスのよい食事ということになります。「霜降り肉」は美味しいですが、健康には「赤身の肉」の方がよいというのにも通じているのでと思います。「フォアグラ」は脂肪肝ですね。食べるのにはよくても、自身の肝臓をフォアグラ状態にするというのは恐ろしいことですよ。肝臓が脂肪肝ということは心臓なども「霜降り」になっている可能性が高いですからね。

2010年3月11日
見える虐待、見えない虐待

 3月9日と重なりますが、「虐待」について考えるところを書きます。
 殴る、蹴る,食事を与えない、露骨に無視するなどは虐待であるということがわかりやすいですね。ここに書いたことはすべて躾とは相容れないです。さらに夫婦関係でも殴る蹴るがよく起こっているのが日本だと考えます。子に対する虐待だけではなく、DVにおいても警察の介入を必要としている場合がほとんどでしょうね。夫婦の問題というより加害者、被害者の関係ですね。「付きまとい」とか「メール等による威圧」などは見える方ですね。夫婦間などでは、殴る蹴るとかいうことがなしでも起こっていることがあります。このような場合、警察は介入できないでしょうね。
 それとよく似た状況が子どもでもというか、子どもの方が頻繁に起こりうるのです。露骨ではない無視、行動等に制限を与えるとかは虐待とは見えなくなってくることがありますが、状況をよく調べれば、虐待と判るはずです。成績が親の希望水準に達しないことで行動制限とかは「虐待」にあたると考えられます。このあたりになってくると多くの人は親子関係の一断面としか見ていないでしょうね。
 「親の思い通りにする」ということも虐待の一種だと考えられるのです。そこには、子どもの基本的人権はないからですね。このように考えると、子どもにとって、「安全な家族」というのはそう多くはないと思います。日本でいう「良好な親子関係」の基準におかしい部分が多くあるということです。それが、教育などにひずみをもたらして来ているのです。子どもは「順位」(一部分ということ)だけで見られたくないのに「順位」があたかも最大の基準であるように親に評価されるなどすることなどがこれに当たると考えられます。まずは「何はなくても愛される」ということが子どもに必要なのに、いつの間にか「順位」のみに関心が移ってしまっているのが日本ですかな。それを不自然と感じない大多数の大人がほとんどという悲しさですね。
 多くの動物では、親と子はどこかで親子分離をしますが、日本では不自然な「親子不分離」を起こすのが多いのはこの「見えない虐待」の結果でしょうね。
 虐待をもっと広く捉えましょう。そして、虐待の被害者を救う仕組みを。

2010年3月9日
虐待と躾の狭間

 3月7日の日本テレビ「真相報道 バンキシャ」で「一家でホームレス 止まらぬ"虐待"の連鎖」というのがありました。結局、子が虐待で死亡してしまうわけですが、その時の親の言い分が『「躾」のためにしている』ということですね。
 「躾」ですが、育ててきた経験からいいますと、叩く、罵倒する、食事を与えない、等々などおこなわなくても普通の大人に育っていきます。暴力的方法で育てるより良い大人にね。
 「叩く、罵倒する、食事を与えない、等々」をおこなうというのは、「虐待」そのものであると考えられるのです。子どもがそれなりに生活体験を積んでいけば、「穏やかに親が良い見本を見せつつ、諭せば」躾はできるのです。親が見本を上手く見せるというのは、よくいわれる「親の背中を見て育つ」というものです。
 それと、「家族」の見本は大抵、育てられた家庭しかないのです。そして、それを「よい家庭」と思い込んでいるというのも虐待の連鎖に繋がっていると考えられます。
 ですから、虐待の防止は「暴力的行為」があれば、警察権力を使ってでも介入するほかには、子どもを助ける方法はないと考えます。「親権」は虐待でない状態でのみ行使できるものとする必要があると考えます。虐待の中には「見えない虐待」という現象もあるといわれています。「親の期待で子を縛る」というのも虐待にはいると斉藤学氏が著書の中で述べられていました。それから考えると「成績不良に付・・・」とかいうものですね。暴力ではなく、何らかの罰を与えるというものです。
 もっと虐待の概念を拡大する必要があるのが日本です。欧米に比べて何周遅れているのか、想像がつかないです。これは、子どものみならず大人を含む「メンタルヘルス欠如社会」だからでしょうね。
 親が子どもに見本を見せるためには「時間的ゆとり」が持てるような賃金や労働時間が必要になるのですが、工場が海外との競争に疲れて、海外に出ていくような経済政策を続ける限り、そして、高付加価値で勝負できる企業の足を引っ張るような政策をしている限り(規制がこれに当たるかな。)厳しいでしょうね。もっと、国内で雇用が持続的に増加させるには製造業などの付加価値をつけた製品やサービスを海外にも輸出できるような産業ですね。
 それと、「よい親」になるためには学習が必要であるということで、学習機会を増やしたりして啓蒙することもね。このときですが、「学習」は強制されてするものではないということを、よりよい人間になるためにするものであるということを広げる必要が。ですから、学校での順位とかは止めるべきで、「到達度」とかに評価を変え、フィンランドみたいに理解の遅い子どもに手厚い補習とかを出来る体制も必要です。
 日本での虐待は「虐待の連鎖」が起こっているので減らすのは難しいかもしれないですが、子どもを助けるためには警察権力を使ってでもおこなう必要があるのではと思います。

2010年3月7日
患者数の少ない難病や新しい病気に対する日本の状況

 3月6日のTBSTBS報道特集NEXTで「激しい頭痛やめまい…脳脊髄液減少症との闘い」という病気について放送されました。『2000年に当時、平塚共済病院脳神経外科部長であった篠永正道が「髄液が漏れている患者が言われてきたよりも非常に多い」ことを発見。篠永は2002年に学会で発表するも、医学界ではほとんど注目されなかった。』とフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)にありました。ここに日本の医学界の問題があり、その後の学会の動向にも現れているのではと思います。
 一部の熱心に新しいこと、今までに考えられていなかったような状況に立ち向かおうという医師が少ないのでという思いです。これは、日本の医学教育の問題点である「詰め込み」と関係があると考えます。この状況を打破しようと改革がおこなわれているのですが、高校教育とかで「記憶」頼りに学習をして医学科に入学する学生が多いことも妨げになっているのでは。また、形だけを真似た研修医制度とかも混乱に拍車をかけているとかね。
 患者数の少ない難病では、アメリカとかでは新薬開発は国が責任をもっておこなっているとか。だから、製薬会社は患者数の多い新薬は当たり外れがあって開発費用の回収が出来ないことがあるが、患者数の少ない難病の新薬ではそのようなことがないので開発が進んでいるのですね。ところが、日本ではそのような薬においても、製薬会社の費用負担で承認申請を求めていますね。承認申請のための費用が高くて、どの製薬会社も躊躇しているのが現状でしょうね。このように、患者の利益になるというのはどのようにするということより、重大なことが起こらないかぎり積極的に行動しないという伝統があるようですね。それに、同程度の他国と比べて軍事費が極端に少ないのに金がない予算配分の問題ですね。
 虐待とかの問題でも、国内からというより海外から新しい知見がもたらされてから、漸く、動き出す。それも徐々に。不登校でも以前は「怠け」とかいっていましたが、最近漸く「乳幼児期の育児環境の問題」であるというのが理解されだした状況もよく似ていますね。DVでも取り組みが遅いですし、トンチンカンな取り組みも見られます。
 以前からの観念に囚われすぎているところが多いのが日本ではと思います。それが、難病や新たにいわれだした病気の概念について行けなくて、否定に走ったりするのでしょうね。
 実際に苦しんでいる患者や子どもや配偶者などをどのように救うかということを第一に考える社会になってほしいですね。

2010年度の学力テスト実施について

 3月5日の日本経済新聞に次のような見出しの「学力テスト、抽出方式に変更でも小中学校の73%参加」の記事が出ていました。
 先の事業仕分け等を先取りする形で文部科学省が出してきた「全国学力テスト抽出方式」なのですが、参加希望が73%(2月末)になったというのです。参加率は100%の県から最低の25.4%の県までいろいろですが、高いという感じを受けます。
 前年全国トップだった秋田県は100%ということですし、過去の学力テストで異様に平均点が高かった県のある四国も高いし、九州も6県が100%とか。関西地区は平均的、関東が低め。参加率最低の県はあの犬山市のある県です。この格差はどこから来るのでしょうか。
 地方では、受けないだけで「風評」が立ってしまうのかな。学力というのは、学校と保護者と地域の連携によって向上していくものなのです。この3者のうち、学校と保護者という要素は比重が地域より少し高いかもしれません。ですから、学力テストの結果解釈には地域の状況、保護者の状況も考慮に入れる必要があります。
 教育委員会の中には、データの継続性というところに焦点を当てているところもあるようです。でも、抽出方式でも継続性とかはある程度、確保されるはずですし。全校で実施すれば、いろいろ判ることもあると思いますが・・・。
 この抽出方式にする理由の一つに「平均点公表」などの問題があったはずです。こちらは教育を「競争」としか捉えていない考え方に通じていく危険を含むと思います。それを避けるために「抽出」にしたとも思えるのです。それが、参加率100%などでは相変わらず「順位付け」のネタになってしまって、本質的検証や議論がされなくなる危険性が高いです。
 アメリカでブッシュ政権の時にですが、「落ちこぼれ防止法」とかをつくって、学校の平均点を公表し始めてから「留年」が増加したとか。教育の質が低下して、「点取り」に傾斜したためだといわれたりしてますし、イギリスでは平均点公表みたいなことは止めて、理解の遅い子のフォローアップなどに力を注いでいるとか。フィンランドもイギリスタイプですよ。それには、学校間競争など不要です。
 学力テストからは多くの有用なデータが得られるのですが、使い方を間違うと教育破壊の基にもなることを忘れないでほしいですね。

2010年3月3日
コーヒーの効能

 3月2日にYahooで見つけた産経新聞の記事に「コーヒーからポリフェノール 心だけでなく体も癒やす」というのがありました。
 この記事の主題は「ポリフェノール」です。赤ワインに多く含まれているというポリフェノールがコーヒーにも赤ワインと同じぐらい含まれているというのです。厳密に言うと少し少ないみたいですが、それでも他の食品に比べると多いというのです。緑茶にもポリフェノールは含まれていますが、ワインより少ないですね。
 ポリフェノール研究の第一人者として知られるお茶の水女子大大学院の近藤和雄教授の調査・研究によると、ポリフェノールの摂取は飲み物による量が8割ぐらいになるとか。さらにその多くがコーヒーだったというのです。日本人がこれほどコーヒーを飲んでいたのかということです。
 ポリフェノールは、動脈硬化抑制の効果があるといわれています。フレンチパラドックスというのもあって、赤ワインの効能がいわれていますが、それはポリフェノールを摂取しているからだというのです。アメリカでは、コーヒーを多量に飲んでいるみたいですが、「薄め」のようですね。その場合、どうなのでしょうか。
 このポリフェノールの効果、喫煙でなくなってしまうのではと思います。アメリカで、禁煙を促進したところ、心筋梗塞の発症率が大幅に下がったとか。コーヒーを飲んでいても喫煙率が高ければ、動脈硬化が引き金になって起こる心筋梗塞などの発症率は高いままみたいですね。喫煙率の低下とともに心筋梗塞などの発症率も低下したということです。
 このようなことから考えられるのは、健康食品などを摂取しても喫煙していたら、効果なし、それどころか、イソフラボンでは肺がんの抑制効果なしどころか・・・のようです。何日前に書いたイソフラボンについての文を参照してみて下さい。あの時、喫煙者も非喫煙者も含めると肺がん抑制の効果が見られなかったが、非喫煙者だけに限ると抑制効果があるという新聞報道があったというのを取り上げています。プラスマイナスゼロになるのですが、読み解いてみて下さい。

2010年3月1日
冬季オリンピックが終わって

 2月28日(現地時間)に2010年の冬季オリンピックが終了しました。日本の選手は勿論こと、各国の選手は競技に出場し、全力を出せたのではと思います。
 ところで、日本のメダルは銀メダルが3個、銅メダルが2個で海外では史上2番目の多さということです。よく頑張ったということですね。
 人口の割合から考えると日本のメダル数は多いとはいえないですね。これは、選手がというより、選手養成システムなどの不備によるものでしょうね。大体から、オリンピックでは冬季も夏季もであり、その他世界選手権とかでもですが、個人の努力と不適切な場合の多い指導によっているのでは。
 個人の努力というのは必要で、日本の選手は十分に努力しますね。問題は指導やバックアップにあるのでは。「スポーツは科学」ですよ。記録とか技術とかが向上してくるとほとんどは「さらなる努力」を自発的にするものですね。そして、根性もついてきますよ。ところが、根性論が先ではね。
 技術指導とかトレーニングは「科学」を屈指して行うというのが世界的な風潮とか。何年か前、そり競技のリュージュでしたか、そりの開発を選手とその知り合いの鉄工所とで行っていたようです。海外では、大抵、国もしくは大手企業スポンサーかな。今年もフィギアの韓国の選手、国抱えみたいですね。
 アメリカには、大規模なスポーツの研究施設があるとか。国の総力を挙げているのに、日本では・・・。男子フィギアは関西大学の施設で練習とか。関西大学在学の選手のためにスケートリンクをつくったようです。ところが多くは「個人負担」、そりゃメダル数は増えません。選手は頑張っているのにサポート体制が悪いためですね。
 これ、科学技術の分野でもいえることだと思います。これらは、「効率性」を強調し始めると、成果が見窄らしくなる分野だと思います。このような分野は他にもあると思います。メダル数を増やすにはどうすればよいのか考える必要がありますね。今回のことでは、カナダも相当前から税金もつぎ込んで選手を育成したということです。促成は出来ないということですね。